独自の不条理劇の世界を確立し、戦後演劇界をけん引してきた劇作家で芸術院会員の別役実(べつやく・みのる)さんが3日、肺炎のため死去した。82歳だった。葬儀は親族のみで営んだ。しのぶ会を後日開く。喪主は長女林怜(はやし・れい)さん。
満州国新京特別市(現中国長春市)生まれ。早稲田大政治経済学部在学中に劇団「自由舞台」に参加。原爆病患者を主人公に社会全般の不安を描いた「象」(1962年)で注目された。自由舞台で出会った演出家の鈴木忠志さんらと66年、劇団「早稲田小劇場」を設立し、「マッチ売りの少女」(66年)、「赤い鳥の居る風景」(67年)で岸田戯曲賞を受賞した。
60年安保に参加し、そのころサミュエル・ベケットの不条理劇「ゴドーを待ちながら」に大きな影響を受けた。電信柱とベンチだけの舞台で小市民のナンセンスで滑稽(こっけい)な世界を描いた。「ゴドーを待ちながら」の後日譚(たん)として書いたナンセンス喜劇「やってきたゴドー」(2007年)では、紀伊国屋演劇賞と鶴屋南北戯曲賞を受賞した。
デビュー作「AとBと一人の女」以来、旺盛に創作を続け、発表戯曲は144作に上った。87年度の読売文学賞と芸術選奨文部大臣賞。
戯曲だけでなく、多彩な文筆活動を展開。エッセーや評論、童話なども手広く手掛け、岩松了さん、ケラリーノ・サンドロヴィッチさんら後進の演劇人に影響を与えた。長くパーキンソン病を患い、18年に名取事務所が上演した「ああ、それなのに、それなのに」が最後の演劇作品になった。病床にあっても「楢山節考」をベースにした次回作の構想を練っていたという。
97年度の毎日芸術賞特別賞。98~02年日本劇作家協会会長、03~09年兵庫県立ピッコロ劇団代表を務めた。13年芸術院会員。妻は女優の楠侑子さん。
岩松了さん「穏やかで優しい言葉。同時に冷ややかな理性」
別役さんから兵庫県立ピッコロ劇団代表を引き継いだ岩松了さんの話 演劇を始めた時から憧れ、劇作家としてその背中を追いかけてきました。日本の演劇史に不条理という言葉を定着させたのは別役実さんでした。一本の電信柱だけがあり、そこに人が流れてきて、また流れてゆく……そんな作風は、それまでの演劇にはなかったもので、後に続くわれわれはそこに新たな演劇の可能性を見たのです。いつも穏やかで優しい言葉をかけてくださいましたが、同時に冷ややかな理性も感じさせてくれる方でした。覚悟はしていましたが残念です。心からご冥福をお祈りします。
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March 10, 2020 at 03:39PM
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劇作家・別役実さん死去 82歳 「やってきたゴドー」、「づくし」シリーズ - 毎日新聞 - 毎日新聞
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