竹内由恵さん(34)/2008年にテレビ朝日入社。「ミュージックステーション」「報道ステーション」などの人気番組を担当し、19年退社。20年2月、アミューズに所属し再出発した(撮影/写真部・小黒冴夏)
昨年末、結婚を機にテレビ朝日を退社して、テレビの世界を離れた竹内由恵さん。あれから約3カ月が経ち、今度はフリーとして活動を再開。事務所に所属しながら、家庭のある静岡と東京を行き来する日々がスタートした。がむしゃらだった20代、結婚への価値観が変わった30代、そして結婚後とリスタートを切った現在について聞いた。
* * *
――昨年3月に結婚されて、12月末をもってテレビ朝日を退社されました。竹内さんが出演していた『報道ステーション』では、東京を離れること、仕事を続けるのが難しいことなどをお話されていました。
当時私は『報道ステーション』を担当していて、結婚相手は静岡で働いていました。「家族になるなら一緒に住みたい」と考え、思い切って退社を決めました。静岡には知り合いもいなければ、仕事がないという状態も初めての経験です。でも、どんな風に生活していくかは、移住してから決めればいい。
主人との生活に幸せを感じながらも、しばらくして生活が落ち着いてきたとき、なんだか手持無沙汰だと感じるようになりました。ご飯を作ったり、掃除や洗濯をしたりするのも楽しみながらできていたけれど、それ以外の時間をどう使えばいいのかがわからなかったんです。
――生活にメリハリがなくなってしまうような感じでしょうか。
これまでは休みの日がくると開放感がありました。でも、それがまったく変わらないんです。平日と休みの日が一直線上にあって味気ない。だんだん仕事をやりたい気持ちが強くなって、旦那さんにも愚痴ったりしていました(笑)。
――色んな選択肢があるなかで、テレビの世界に復帰することを選びました。
テレビ朝日を退社する時は本当にテレビの仕事を完全に辞めるつもりでした。ただ、せっかく働くなら今までの経験を生かせることもやっていきたい。そんなときに今の事務所から「静岡を拠点に、家庭を大事にしながら働いてみませんか?」と声をかけていただいたんです。事務所に所属しながらフリーで働くことは、「自分のペースで活動できてとてもいいんじゃないか」と旦那さんも背中を押してくれました。
――局アナ時代と今とでは、考え方や意識することは変わりましたか。
20代の頃は何よりも仕事を優先するという思いでやっていました。仕事を頑張れば頑張るほど周りからも認められて、いいサイクルになっていく。でも、今度は家庭と仕事を両立していかなければいけない。難しいことだとも思っていますが、どちらも楽しみながらうまくやっていきたいです。
――何よりも仕事を優先するというスタンスはいつ頃変わったのでしょう?
30代になって、見えている世界がガラリと変わりました。ただ仕事にがむしゃらだった頃とは違って、仕事や結婚や子ども……と考えることが複雑になっていく。仕事を頑張りたいから結婚や出産に消極的になる人も多くいます。でも、どんな環境に身を置いたとしても、多様な働き方があるはずです。働きながら結婚も子育てもできる人が増えて、それが当たり前になってほしいと思っています。
――仕事と結婚、子育ての両立に悩む人はまだ多くいます。政府は2020年までに、リーダー層の女性を少なくとも30%にすると掲げていましたが、なかなか実現できていません。
女性の進出が進んでいるとはいえ、他の国に比べると男性社会なのだと感じています。海外で活躍している女性CEOや起業家が出演するポッドキャストを聴いていると、凄まじいキャリアを歩んできた人が子どもを2人産んでいたりする。いつ産んで育てたんだろう?とふと考えてしまうんです。日本でも、そんな疑問を抱くことのないくらい、それが当たり前だといえる社会になってほしいと思っています。
私自身、結婚する際は相手との生活を優先しキャリアを手放す道を選びました。でも仕事を離れてみてやっぱり社会と関わりを持ちたいと思ったのです。女性がすべてを背負い込まないで、やりたいことをやる、選びたいことを選ぶというのが普通になってほしいですね。そのためにはパートナーの理解と協力は不可欠だと思います。
――働き方を選べて、それを尊重する環境が当たり前になってほしいです。復帰を周りに伝えたときの反応はどうでしたか。
伝えるときはドキドキしましたが、「やっぱり復帰すると思ってた」と周りの人は思っていたみたいです。「家にずっといる生活は無理でしょう」とも言われました(笑)。
――20代の頃のがむしゃらな竹内さんを知っているからこそですね。当時、睡眠や休みはとれていましたか。
しっかり寝てはいたと思います。ただ、20代の頃は休みがあるのが怖くて、「もっと頑張らなきゃ」「もっと認められなきゃ」という気持ちがありました。休日もスポーツの試合を観に行って。結果的にそれを見ていた方が「よくわからないけど、いつも現場にいるぞ」と興味を持ってくださって、スポーツ関連の仕事にもつながりました。
――そうなんですね。音楽からスポーツまで幅広く活躍されていた印象があります。それだけに番組異動にいつも注目されませんでしたか。
私の場合、スポーツやバラエティを中心にアナウンサーの仕事を始めて、途中から報道番組の担当になりました。「バラエティ番組の明るいアナウンサー」という印象がある中で、真剣なニュースをどう伝えていくべきか迷いました。オンエアを見た友人からは、「笑っちゃうんだけど、大丈夫?」と言われたり、真剣な顔のつもりが視聴者の方からは「怖い」と連絡がくる。なかなかうまくできず、最初は苦労しました。
――フリーの選択ができるのも20代で頑張った経験があるからでしょうか。
退社するときもフリーになると決めたときも、ためらいや不安はありました。お世話になった方への申し訳なさや一緒に番組を作っている人たちに迷惑をかけてしまうという気持ち、自分自身の先も見えませんでした。ただ、一歩踏み出したことで、みんなが理解してくれていることに気付けたり、フリーの選択肢が見えたり。テレビ朝日でやれることはすべてやり切ったという思いもあります。だからフリーに飛び込めたのかもしれません。今は色んなことができる代わりに、自分に伴う責任も大きくなる。厳しい世界だけど、挑戦しようと思えるのはテレビ朝日での経験のおかげです。
――今後はどういう仕事をやっていきたいですか。
自分自身をさらけ出す挑戦をしていきたいです。局アナ時代は場の空気を読んで進行する“アナウンサーの仕事”を全うすることに集中していました。それがいい部分もありますが、ちょっと勇気を出して「こうでなければいけない」という型から出てみようかなと思っています。
――憧れの人や、出てみたい番組はありますか。
とても凄い方なのですが……阿川佐和子さんです。私がアナウンサーになったのは、人にインタビューをしたいと思ったからで、そのきっかけの一人が阿川さんでした。小説家、エッセイスト、キャスター、様々なジャンルを飛び越えて活躍されていて、自分をしっかりと持った阿川さんならではの立ち位置があるように感じています。
阿川さんの『聞く力』を読んで色々なことを学びました。いつか、「サワコの朝」にゲストとして出させていただけるくらい興味深い人間になれたらな、と思っています。これまでは取材することが多かったので、インタビューしていただきたいな、なんて。大きな夢になりますね。
――阿川さんは小説やエッセイもたくさん書かれていますね。文章を書いてみたい、と思ったりもしますか。
結婚してから時間ができたので、そのときに感じている思いを書き留めたりはしていました。ただ、それが日の目を見ることがあるのかは……(笑)。書くのは楽しいので、自分の可能性をシャットダウンせずに色んなことができればなと思っています。
(構成/編集部・福井しほ)
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March 08, 2020 at 04:48PM
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